ごめんなさい。
いっぱいいっぱい傷つけたこと。
ごめんなさい。
あなたの心を傷つけたこと。
ごめんなさい。
あなたの家族を傷つけたこと。
ごめんなさい。
あなたを悲しませたこと。
ごめんなさい。
あなたを待てずに、先に消えてしまったこと。





ごめんね。











いきていること











「…………………………」
「何よォ、しけた顔して。この私とデートっていうのがそんなに気に入らないわけ? 
このガァプ様の隣を歩けるなんて滅多にないことなのよ? そんじょそこらの男には決して許さないんだから、もっと嬉しそうな顔しなさいよォ……!」

口を尖らせて、不満気な表情を露わにする彼女。
俺はそんな彼女の不平不満を黙殺するように、ただ無言で足を早めた。
ざっ、ざっ、ざっ……………
先ほどよりも明らかに間隔が短くなった、新雪が踏み固められる音。
一拍遅れてついてくるもう一つの足音が、やけに耳障りに感じられる。
一向に止む気配のない背後の足音にしびれを切らせた俺は、自分で思うよりもずっと険しい顔をしていたのだろう。
―――振り向いた先にいた「彼女」の表情は、俺に怯えたように、一瞬だけ目を逸らしたから。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! この靴、雪の上、歩きづらくって……待ってってば!」
「………なら、無理してついてくんなよ。勝手についてきたのはオマエの方だろうが。ワルギリアに用事を頼まれたのは俺だけだ。オマエなんて呼んでねえんだよ」
「はあ、はあ……やっと追いついた……あんた、もうちょっと女に優しくしなさいよ……! 特に私みたいないい女はねェ? もう………!」
「そんな変態みたいな服着ておいて、何がいい女だよ。冗談も大概にしろ。
………その手、離せよ。歩き辛くてかなわねえんだよ」
「いいじゃなーい? 折角のクリスマスなんだし、それっぽくしたって。
ほらほら、何時まで仏頂面してんのよあんたは。男前が台無しよぉん?」

俺の声が聞こえない振りをして、左腕を俺の右腕に絡める「彼女」………ガァプ。
無理矢理引き剥がしてやろうか……いや、流石にそこまでするのはやりすぎだな。周囲の目もあるし、確かにこんな日にひとりで街を歩くのは味気ない。放っておいたら何時までも喋り続けているようなこいつでも、いないよりはマシか。俺はそれ以上彼女に文句を云うことを諦め、久し振りに歩く魔界の街並みを眺め……そして視線を上に向けた。
空からは白く小さな粒がちらちらと舞い始め、この賑やかな街を白一色に染め始めている。通り過ぎる人たち……いや、「人」じゃないな。魔族たちも寒そうに首をすくめながら、いそいそと歩いている。でもその目は、この雪を嫌がるというよりも、どこか楽しそう。やっぱ、この世界もクリスマスは楽しいイベントなんだな。
―――そうやって俺たち人間との共通点を見つけると嬉しくなってしまうのは、自分が「この世界」にすっかり溶け込んでしまったからなのか。彼らが自分と同じだと感じることに喜びを見出すのは、俺がこの空間を、この世界を……愛おしいと思い始めているからなのか。この世界を離れることを、心の何処かで寂しいと感じているからなのか。
俺には、帰る家があるというのに。
血を吐くような思いで孤独な人生に必死に耐えている妹がいることを、俺は知っているのに―――!

「こ〜ら、せっかくのクリスマスに難しい顔するんじゃないわよ! あんたには似合わないっての!」

むにゅ。

「………悪かったな、難しい顔が似合わない単細胞で。というか………この手を離しやがれえええええええええ!!」
「きゃー、バカがうつっちゃうわ! た〜す〜け〜て〜(棒読み)」
「バカって云う方がバカなんだよぉおおおおお!!」

俺の頬を思い切り引っ張ったその数秒後には、ガァプは俺の追撃を鼻歌交じりでかわし続けていた。チクショウ、瞬間移動はルール違反だっつーの!!
その後も無謀な鬼ごっこに、身も心も疲れ切った俺。チクショウ、ワルギリアからのお使いもまだ始まってねえのによ……!!
すっかり息もあがってしまい、膝に手をついて呼吸を静める俺。近くのベンチによろよろと腰掛け、やっと一息つくことができた。いかん、あんなのにペースを乱されっぱなしとか情けなさすぎるぜ……!

「はい、のどが渇いたでしょう? これ、おごったげるわ」
「誰のせいだ、誰の………まあ、ありがたくいただくとするぜ」

何時の間にか隣に腰掛けていたガァプが、屈託のない笑顔でペットボトルを差し出す。素直に感謝の言葉を告げ受け取る俺。真冬とはいえ動き回ってカラカラに渇いた俺の喉を、冷たい水が心地よく通り抜けてゆく。先刻までいろいろと考えていた難しいことも、綺麗に胃の中に収まっていくような感覚。
考えなくてもいい、というわけじゃない。
でも今は、難しいことを考えるのは止めよう。
今日は、クリスマスイブだから。
俺たちを横目に通り過ぎてゆく「彼ら」も、あんなにも楽しそうだから。


「それにしても………魔界にも雪って降るんだな。
前から思ってたが、ここって本当、人間世界の街並みと何にも変わらねえな………」
「な〜に? もしかして、『血の池地獄』とか『針の山』とかそんなの想像していたの? あははははっ……! 魔界に来たニンゲンってみんな最初は驚くのよねぇ。そんなの、ニンゲンが勝手に生み出した迷信なのに。
そんな訳ないじゃない。ニンゲンの世界と何にも変わらないわよォ。雨も雪も降るし、犯罪だって素敵な話だってある。魔族にだって、心はある。体も心も傷つく。
…………ニンゲンと、何にも変わりないのに」

―――ニンゲンはみんな、私たちを恐れる。
彼女はおそらく、こう続けたかったのだろう。
ちらりとその横顔を盗み見る……先刻までのおちゃらけた表情は消え去り、少し拗ねたように空を見上げる。吐く息は白く、その「個性的」な服も、今はとても寒そうに見える。少しだけ、震えてもいるようだ。
まったく、仕方のねえ奴だな。寒いなら、もっと着込んでこいっつーの。

むにゅ。

「………な!?」
「隙あり……さっきのお返しだぜ。いっひっひ………!!」

おもむろに、ガァプの頬をつまんでみる……うん、やっぱ冷たいな。まあ、雪も降ってるし当然か。
突然のことに声も出せないらしい彼女の頬も、やはり冷え切っていた。よし、ここらで休憩としますか……! まったく、世話掛けさせるんじゃねーよ。

「よしガァプ! ちょっと寄り道するぜ!どっか暖かい所行くぞ!」
「へ………? う、うん…………」

意外にも何も云わずに、こくりと頷くガァプ……ん? 何か顔が真っ赤になってるぞ?
額に手を当てようとすると。
「きゃっ!」
猫みたいに、俺の傍から一瞬で後ずさりやがった。

「はー、はー………!
いきなり、何すんのよ! 心の準備くらい……させなさいよこのバカ戦人!」
「心の準備って……ただ触っただけじゃねえかよ。何照れてんだよ……オマエは中学生かっつーの」
「うるさいうるさいうるさーい!! バカ!! アホ!! 無能!!」
「無能は違くね!?」
「うるさいっつってんのよ!! 口答えするなああああああ!!」

何か、やたら俊敏な動きで俺の先をすたすたと歩き始めたガァプ。
何だよ、そんなに怒るこたねえじゃねえかよ……! お〜い、待ってくれよ! オマエ財布も何も持ってきてないだろうが!
……クールで大人っぽい女だと思っていた彼女の思わぬ一面を知って、俺も何だか顔がにやけちまってたらしい。途中何度も振り返って「今私のこと笑ったでしょう!」と睨みつけてくる。その度に「そんなことねーよww」って云ったけど……やべえ、マジでヘソを曲げちまったみたいだ。
何故かガァプの機嫌を伺うようにしながら、俺たちは魔界の街並みを足早に歩いた。
―――雪の勢いが、少しずつ強くなっていた。









「お客様、こちらのコートはいかがですか? お客様にぴったりでございますよ!」
「やっぱりィ? 私クラスになると、このくらいエレガントなコートでないと不釣り合いなのよねぇ……気に入ったわ。
じゃ戦人、これ買って」
「はァ!? 何で俺がオマエの服買わなきゃなんねーんだよ!? てめえの金で買えよ!」

―――見られてる。めっちゃ見られてる。
ガァプや店員の姉ちゃんだけじゃない。この洋服売り場にいた奴ら全員の視線が、俺に注がれてる。

「ざわ……ざわ……」
「うわー………クリスマスなのに………」
「何て鬼畜な彼氏なの……彼女が可哀想………」
「いや、これはこれで一種のプレイなのかも………」
「リア充爆発しろ!! そして生き返ってもう一回爆発しろ!!」
「何だよ、冷やかしならとっとと帰れよこの貧乏人が………」

聞こえる。聞こえるぜ、周囲の奴らの心の声が………! というか最後のは明らかに店員の姉ちゃんの声だろうが!?
「赤」でフルボッコにされたくらい、きっつい状況。いや、それ以上かもしれねえなァチクショウめ!!
おい、何とかしろよとガァプに目を向けると。

「そうよね……戦人は私のことなんて何とも思ってなかったのよね。戦人は私のことなんて、使い終ったカイロみたいに捨てるのよね……いいの、それでもいいって云ったのは私ですものね……。
私ひとりで舞い上がってて、クリスマス一緒に過ごしてくれるから、てっきり恋人になれたなんて思いあがってて……本当、に……ごめん、なさ、い………」
「オマエ今目薬入れてただろ!!」

俺のツッコミは、誰ひとり聞いてやしなかった。ぽろぽろと(ニセ)涙をこぼしながら謝るガァプ。そしてそんな俺に向けられる視線は―――怖ええええええええええ!!

「ひいいいいいいっ!! 買う、買うよ!! 買わせていただきますそのコート!!!」
「はい、お買い上げありがとうございま〜す♪ コート1点、98,000円でございま〜す! あ、ご一緒にこのブーツもいかがですか? 最新トレンドの人気の品になりますが「買う! 買うから俺をここから解放してくれ!!!」
「男って、何て単純なのかしら。ほんと、バカね……。イケメンに限らず……」
「ガァプてめえ! 後で覚えてろよ!!」

「う〜ん、大漁大漁! こういうの欲しかったのよね〜♪ 
ほんとありがと、戦人! あんたにしてはセンスのいいクリスマスプレゼントよねぇ? 褒めてあげるわ」
「うるせえ!! ったく、よくもあんなウソ泣きができるもんだぜ……というか666にはもう二度と行かねえ! 今日でトラウマになっちまったぜ………!!」
「きゃははははっ!!」

ぶつぶつとブーたれながら、昼メシ代わりのパスタを胃袋に放り込む。クソ、こいつに優しい顔を見せたのが間違いだったぜ……バカ野郎!! 数十分前の俺バカ野郎!!
ガァプは俺と向かい合って座り、ついさっき666で買ったコート(とブーツとマフラーと財布とハンドバッグ)の紙袋に頬ずりしてやがる。まあ、その幸せそうな表情をずっと見ていると……まあいいかという気にもなってくるから不思議なもんだぜ。男はこうやって女の涙に騙されていくんだな……がっくり。
―――まあ、何時までもヘコんでいても仕方ない。失った諭吉っつぁんが戻ってくるわけでもなし。
俺はあらかた平らげたパスタの皿から視線を外すと、また外の街並みを眺めた。
午後をだいぶ過ぎた時間ということで、少しずつ暗くなってゆく空………やっぱ、カップルとか家族連れとか多いな。クリスマスイブということで、みんなの表情も明るい。
窓越しに見える大通りも、それぞれに大きな荷物を抱え――きっとクリスマスプレゼントなんだろうな――、家路を急いでいるように見えた。本当、こういうのは俺たち人間と何の変わりもないんだな。
俺たち、人間……か。
そういえば、俺はまだ家族全員でのクリスマスってまだ過ごしたことがなかったんだよな。
6年前、初めて霧江さんと縁寿に出会って……すぐに家を飛び出して……それから6年間、母さんの実家にいて……。親父に説得されて家に戻ってきたけど………結局、10月の親族会議で―――




「私と一緒は………つまらない?」
「え………?」




唐突な言葉に、我に返る。
目の前のガァプが、心細そうに俺に視線を向けている。さっき666で見せたわざとらしい演技ではなく、本当に不安に思っている、上目遣いの視線。
……ああ、随分長い間自分の世界に浸っちまったみたいだな。こういうの、一緒に過ごす相手に対してすごく失礼だよな。いくらガァプが相手とはいっても、申し訳ないことしちまった。

「悪い。ちょっと、考え事してた。申し訳なかっ「……………リーチェのこと、思い出していたの?」









リーチェ。
ベアトリーチェ。
ベアト。









ああ、その名前……何かすごく久し振りに聞いた気がするよ。
実際は、ほんの数か月前のことなのに。
そして俺は同時に、ベアトのことを何時の間にか自然に忘れていた自分自身に、ひどく驚いてもいた。
今ガァプから云われるまで、今日も全然思い出さなかったよ、あいつのこと。
今も、俺が考えていたのはベアトのことなんかじゃなく、家族のこと。縁寿のこと。今までの、自分のこと。
―――ああ、そうか。
きっとこういう風にして、人は辛い思い出を忘れていくのか。
記憶って、都合のいいように出来てるんだな。
あの時は、あんなに後悔したのに。悲しんだのに。
あんなに強く、彼女の死を悼んだのに。
あんなに強く、彼女のために真実を掴んでやると決意したのに。
まだあのゲームが終わったわけじゃない。次は第6のゲーム盤。ヱリカやドラノールとの戦いだって、まだこれからが本番だ。
それなのに。
あんなに悲しかったベアトの最期を思い出しても、もう涙は出ない。悲しい気持ちはあるけど……ベアトがいなくなったあの瞬間、俺がどんな気持ちだったのか、どれだけ悲しかったのか、どれだけ後悔したのか……それを思い出すのに、少しずつ時間がかかるようになっている。
そして、そのことに罪悪感を抱く気持ちも、いつの間にかすっかり無くなってしまった。

『戦人! 今年のクリスマスの予定は空けてあるのだろうな!? 妾に一日中付き合ってもらうから覚悟しておけ!!』

頭の中で再生される、彼女の声。今はまだ、うまくベアトの声を思い出せるみたいだ。
でも、明日は? 明後日は? 一ヶ月後は? 一年後は? 
俺は彼女をどう思っていた?
彼女は俺に何を願っていた?
俺は彼女に何を誓った?
彼女は俺に何を託した?
―――やめよう。
これ以上答えのない自問自答を繰り返しても、ベアトが蘇るわけじゃない。何より、今目の前にいるガァプに失礼だ。ベアトのことは……いつか、答えが出るはずだから。
いや。
答えを、出さなきゃいけないはずだから。
俺は冷め切ったコーヒーを一口啜ってから、感情が表情に出ないように最大限努力しながらガァプに向き直った。



「ああ……まあな。
ベアトやワルギリアも今日みたいに、買い物に行くたびにオマエの我が儘に付き合わされてたんだな〜って思ってよ! いっひっひ……!」
「な……何よその人をバカにしたような笑いは! 
云っとくけどね! 666では私よりリーチェの方が好き勝手やってたんだから! 毎回、リーアが半泣きになりながらリーチェを止めるっていうパターンだったのよねぇ……ふふふっ! あの時のリーアの泣き顔ったら……思い出すだけで可笑しいわ!」



お互いに、云いたいことを飲み込んだ。
それで、いい―――はずだ。今は。



「……あ! リーアといったら戦人! 今日の目的をすっかり忘れてない!?」
「―――ヤバイ。普通にお茶してる場合じゃなかったぜ。今何時だ?」
「えーと……もう4時よ!?」
「ヤバイ!! ワルギリアの奴久し振りに開眼全開&お説教モードになっちまうぜ!? 行くぞガァプ!!」
「ええ!!」

伝票を引っ掴み店を飛び出す俺たち……あ、無意識に手をつないじまってるよ。
今日街に出てきた目的、ガァプに振り回されてすっかり忘れてた。
『今日のクリスマスパーティーの食材をお願いします。そうですね……遅くとも17時までには帰って来てくださいね。遅れた場合は……解っていますね?』
今朝のワルギリアの不気味な笑顔を思い返し、ぶんぶんと頭を振る。
ヤバイ、今日遅れたらシャレにならん!! おまけに、今日はアイツ……ベルゼブブも来るって云ってたし! メシの時間が遅れるようなことがあったら、あの館崩壊しちまうぞ………!!!
俺と同じ不安を抱いたガァプが、ごくりと息を飲む。

「戦人……手分けして買い物するわよ!? あんたは肉系、私は野菜と魚を買うわ。1630にここに戻ってくること……いいわね!?」
「お……おう! ヒトロクサンマルだな!? 了解だぜ!!」

何故か軍隊式に集合時間を決めてから、二手に分かれる俺たち。
そして。


「ぜーはー、ぜーはー……戦人……頼まれてたもの全部買ったわね!?」
「おう……はあ、はあ……バッチリだぜ!!」
俺たちは息も絶え絶えに、先刻決めた集合場所に到着した。そしてそこに待ち構えていたのは……山羊さん。

「山羊さん、俺たちの命運、あんたに託すぜ………頼んだ!!」
「「めぇ!!」」

何故か敬礼しながら、両手いっぱいに抱えた買い物袋を2人の山羊さんにそれぞれ手渡す。
力強く敬礼を返しながら、荷物を受け取り……くるりと踵を返して全力疾走を始めた2人の山羊さん。俺たちはその背中にもう一度祈りを込めると、精根尽き果てたようにへなへなと近くのベンチに座り込んだ。

「は、はは……あはははは……!! 何だよこのクリスマスは……何か笑えてきたぜ! あははは……!!」
「そうね……何かいろいろ考えるのが、バカらしくなってきたわ……あははははっ!!」

目を見合わせ、理由もなく大爆笑する俺たち。
何時の間にか、また手をつないでいた。
館に到着した2人の山羊さんが、「17時0分7秒………残念でしたね☆」と満面の笑顔のワルギリアにアレされちゃったのは、また別の話………安らかに、眠ってくれ。

ざっ、ざっ、ざっ………
二人分の足音が、積もったばかりの柔らかな雪を確かに踏みしめる。数時間前とは違い、その足音は穏やかで、そして優しい。
今日の目的を果たした俺とガァプは、のんびりゆっくりと家路へついていた。今頃、ワルギリアやロノウェがパーティーの準備に大忙しなんだろう。
ガァプの「能力」を借りて瞬間移動で帰れることもできたけど、そんなに急いで帰ってもどうせ手伝いをやらされるだけだし、何よりそんな気分でもなかったし……俺たちは来た時と同じように、歩いて帰ることにした。
―――手は、つないでいない。さっき、どちらからともなく静かに離した。

「……………」
「……………」

人通りも少なくなり、館へ向かう道を歩いているのは俺たちだけ。
お互い言葉も交わさず、淡々とただ機械的に歩みを進める。
空は暗くなり、風はますます冷たくなり、雪も確実に深く深く積もり始めていた。今日もまた、新たな雪がこの街をより深い白に染めてゆくのだろう。

「………今日は、ありがとう。このコート、本当に嬉しかった。あの時はちゃんとお礼を云えなかったから……本当に、ありがとう」
「よせよ、ガラにもないこと云うなって。俺だって、今日は楽しかったし……その礼だ」

―――クリスマスのために貯めてた金、無駄にしなくて済んだし。
そんなことは、隣のガァプを見ていればとても云えなかった。
いつもの露出度の高い服の上に、今日666で買ったコートを着ている。雪で汚れるから嫌だと渋る彼女に半ば無理矢理着せた形になったが……俺が云うのもなんだが、とても彼女に似合っていた。そして彼女が買ったばかりのコートが雪で汚れないように、傘を差して慎重に歩いているのが解って……俺はとても嬉しくなった。
ここまでされて、何も気付かないほど俺もバカじゃない。これでも、自意識過剰ぶり満載の18歳なんだ。
彼女―――ガァプが、俺に好意を向けてくれていることを。そして、俺がそれを嬉しいと思っていることも。
今日だって、最初は無理矢理纏わりつかれた形だったけど……はしゃいで、買い物して、メシ食って……本当に、楽しかった。楽しいクリスマスだった。
だから、かな。
そう思う気持ちと裏腹に、たまらなく彼女に申し訳なく思っちまうのは。



「………リーチェに、申し訳ないわね」
「…………………………」

「あの子は、もう戦人とこんなことできないのに。あなたを想いながら、いなくなってしまったのに。
それなのに、私は戦人と楽しく過ごしてる。あの子の気持ち、知ってた癖に」
「…………………………」

「気付いてた? この前のゲームで、戦人が屋敷の3階から飛び降りたリーチェを抱き締めた時。
あの時から、ううん……ずっと前から、私あんたのこと好きだった。あの時、あんたにお姫様だっこされてたリーチェ見て……たまらなく、うらやましかったの。
そして、思ったわ。
リーチェさえいなければ、戦人は私のものなのに。リーチェがいなくなればいいのに、って。彼女の友達面して、内心ではそんなこと考えてたの」
「…………………………もういい」

「あの子がいなくなったって知って、すごく悲しかった。すごくすごく、悲しかった。
でもね、同時に、すごくすごく嬉しかったの。これで、遠慮なく戦人に近づけるって。この気持ち、隠さないでいいんだって、思った。
だって、私は生きているんだもの。
リーチェは、もういないんだもの。
そう思った。そう思う自分が、すごく嫌いになったわ。でも、本当はそんな自分が大好きだった。あの子がいなくなってから、そんな自問自答ばっかり」
「…………………………もういい。それ以上自分を傷つけんな」

「いっそのこと、あの子が生き返ればいいのに。そうしたら、私あの子に云ってやるわ。
『私も戦人が大好き。だからあんたになんか負けない』って……! 友達じゃなくなっても構わない。私にはリーチェよりも戦人の方が大切。そう、あの子に云いたい。いいえ、云うべきだった。
あの子が、まだ生きていた時に! 
それなのに、もうあの子は何処にもいないの! 何処にも!!
もうケンカすることさえできない!! 
ねえ何で!? 何で勝手にいなくなったの!? 戦人の心、こんなに傷つけて……!! いなくなってからも、こんなに戦人の心に居座って、傷つけ続けて……!!! 
どうして私はこんなに醜いの!? こんなことしか考えられないの!? ねえリーチェ、私あんたを好きなのか憎んでるのか解らない!! でも戦人は渡さない!! あんたなんかに「もうやめろ!!」



思い切り、彼女の両肩を掴む。
心まで冷え切ってしまいそうな、冬空の下で。
彼女の熱い涙だけが、白く降り積もった雪を引き裂いた。
彼女の目が、静かに閉じられて。



「―――――後悔、するわよ」「しねえよ」



その唇に、貪るようにして食らいつく。
彼女がさしていた傘が、手から離れる。次の瞬間、強風に煽られて飛ばされてしまった。
彼女の涙は、もう流れ落ちることはなかった。
降りしきる冷たい雪の中。
俺とガァプの唇だけが、燃えるように熱かった。
……彼女の手が、俺の背中に回される。
お互いの舌だけが、別の生き物のように絡み合った。





ごめんなさい。
いっぱいいっぱい傷つけたこと。
ごめんなさい。
あなたの心を傷つけたこと。
ごめんなさい。
あなたの家族を傷つけたこと。
ごめんなさい。
あなたを悲しませたこと。
ごめんなさい。
あなたを待てずに、先に消えてしまったこと。





ベアトが最期の瞬間、俺に伝えた言葉。
そして。




ごめんね。





―――ベアト。
俺、オマエのこと、大好きだったよ。いや、今も好きだ。大好きだ。
でも、さ?
俺は、まだ生きてるんだ。オマエの思い出だけを抱えて生きていくことは、できないんだ。
もしかしたら、この先のゲームで、オマエは蘇るのかもしれない。黄金の魔女のことだ、何食わぬ顔をして出てきたりするのかもしれない。また俺のことバカにして、罵って、ケンカして……そうなれば、きっとすごく嬉しい。
オマエのこと、今も大好きだから。
でも、俺……もうひとつの「好き」も、見つけたんだ。彼女とこれから生きていくのかは解らない。先のことなんて、何一つ解らない。でも、今の俺の気持ち。これだけは、絶対に偽物じゃない。
オマエのこと……ベアトのこと、大好きだ。そして、ガァプのことも、大好きなんだ。
だから、ベアト。
もう一度、俺たちの前に現れてくれよ。そしたら、俺、選ぶから。自分の気持ちに向かい合って、答え、出すから。
自分勝手? ははっ、それはお互い様だっての。オマエだって、さんざん俺の気持ちをかき乱して、さっさといなくなりやがって……勝手なんだよ。だから、これでおあいこさ。



「……ガァプ。俺、決めた。
この次のゲームで、ベアトにもう一度会うって。オマエとベアトを、もう一回会わせるって。オマエにずっと後悔なんて、させない。させるもんか……!
ゲームマスターとして、何色ででも誓ってやる」
「バカ………あんたのこと、疑うわけないでしょう?
私からも、お願い。勝手に消えたあの子のこと、思いきりぶん殴ってやらなきゃ気が済まないから。そして、正々堂々と、戦人を取り合いたいから………」



もう一度、俺の胸に顔を埋めるガァプ。
そして。



「……そろそろ、戻りましょう? いい加減リーアが頭から角を生やしそうだから」
「そうだな……ワルギリアを怒らせたら、絶対にただじゃすまねえからな………」



その言葉を合図に、俺たちは身体を離した。
そして、再び無言で歩き始める。
みんなが待つ、あの館へ。
ベアトのいない、あの館へ。
いきている俺たちは、踏みしめる。
一歩、一歩。
クリスマスの夜、誰もいない道を、ふたりで。










<終わり>